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SU-152(ロシア語:スー・ストー・ピヂスャード・ドヴァー)は、KV-1Sのシャーシに固定戦闘室を設け、152mm 加農榴弾砲 ML-20を装備した自走砲である。1943年3月より量産が開始され、ドイツのティーガー・パンターといった新型重戦車をクルスク戦において撃破したことにより「野獣ハンター」を意味する「ズヴェロボーイ」(ズヴィラボーイ)と呼ばれるようになった(但し、「ズヴェロボーイ」には「弟切草」という意味もあり、その後のソ連自走砲が草花の愛称で呼ばれたことを考慮すれば、SU-152の愛称もこちらの意味であった可能性もある)。その後、後継車輌の出揃う1950年代までソ連軍で運用された。 ''スー・ストー・ピヂスャード・ドヴァー)は、KV-1Sのシャーシに固定戦闘室を設け、152mm 加農榴弾砲 ML-20を装備した自走砲である。1943年3月より量産が開始され、ドイツのティーガー・パンターといった新型重戦車をクルスク戦において撃破したことにより「野獣ハンター」を意味する「ズヴェロボーイ」(ズヴィラボーイ)と呼ばれるようになった(但し、「ズヴェロボーイ」には「弟切草」という意味もあり、その後のソ連自走砲が草花の愛称で呼ばれたことを考慮すれば、SU-152の愛称もこちらの意味であった可能性もある)。その後、後継車輌の出揃う1950年代までソ連軍で運用された。 ''ズヴィラボーイ)と呼ばれるようになった(但し、「ズヴェロボーイ」には「弟切草」という意味もあり、その後のソ連自走砲が草花の愛称で呼ばれたことを考慮すれば、SU-152の愛称もこちらの意味であった可能性もある)。その後、後継車輌の出揃う1950年代までソ連軍で運用された。 == 概要 == === 開発経緯 === :ソ連では、1930年代から既に、歩兵支援用の自走砲として、T-26軽戦車の回転砲塔を外した車体に、元々の搭載砲である45 mm 砲より大口径の各種砲(76.2 mm 砲、122 mm 砲、152 mm 砲)を搭載したものを試作・生産していたとされるが、詳細はよくわかっていない。 1939年冬から1940年春のフィンランドとの冬戦争において、固定戦闘室を持った重自走砲の先駆者として、T-100重戦車に130mm砲を装備したSU-100Yが対陣地戦用として作られたが、投入される前に停戦が成立した。1941年の独ソ戦でモスクワ前面で投入されたともいわれるが、実戦記録はない。 一方、KV-1の車体に回転砲塔を搭載し、152mm榴弾砲を備えたKV-2は、ソ連軍がフィンランド軍の防衛陣地マンネルハイム線突破するにあたって、重防御と高火力を活かして大きく貢献した。このため新型砲塔が開発され、量産された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「SU-152 (自走砲)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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